やりすぎだと気づいていない大人

行動する前に大人が制御する

子どもを守りたい気持ちは十分に分かります。でも守りすぎていると自分で考えなくてよいという発想になり、それが普通になり、社会に出たとたん急に自己選択を迫られます。その際一番困るのが子どもです。だって今まで大人に聞いていたのですから。選択の余地はなかったのですからどうしてよいかわからないのです。

小さな自己選択を子どもが行うことで考える力、選択の余地、そして自己選択によって自己肯定感が上がりもっともっと可能性が伸びるのです。

一斉保育に抵抗がある

私は一斉保育に抵抗があり、保育士の指示のもと活動するのは「約束を守れる子」であれば、だれでもできるんです。圧力で制御すれば大人も楽ですから。

「見守る保育」にほれ込み、自分で考えて行動することに共感を得て、保育士をすること決断しました。なので一斉保育の指導が私には入っていないのです。
個々に合わせて、個々にあったのもを指導する。それがその子にとって伸ばせるものだと痛感したからです。

いちいち聞く子ども

驚いたのがいちいち聞いているんです。高学年でも先生に聞く。トイレ行ってきていいですが??お菓子とってもいいですか??はたまた勉強はどこでしたらいいですか??

そして大人もいちいち言うんです。これ持った??宿題して~ここで勉強しなさい!!

毎回毎回。。。。。。

私は驚きしかない反面、大人に制御されているのだなと感じたのです。

正直私なら「どうすればいいか自分で考えてごらん??というと思うんです。むしろ高学年の女子が言っているのですから驚きました。

全部大人が決めている

大人に従うのが普通。と子供も考えることはなくなります。そして大人の圧力から「私のせいじゃない」「大人が言ったから」と責任転換を考える子どもも出てきます。

大人が決める方が安全で楽ですが、一番困るのは子どもです。

子どもは安全かどうかも体験してみないとわからないのですから。

大人が手を放す勇気を出さないと子どもの可能性は芽生えてきません。

手を離した時を見守る

手を離しただけでは放任になります。離してどういう行動に出るか、選択できなければ提案をしてどちらを選んでもらう。そこを大事にすることが最も重要な部分です。

見守るとは手を離した時のかじ取りを後ろでそっと見守ることなのです。